2019-10-13 Sun : 命を守る行動
9:00 くらいに起きた
ぼくが過去に自動車を運転していた記録から、道路交通法に抵触しているとシステムが判断したとのこと ぼくは出頭する必要がある
人間ではなくアルゴリズムが合法・違法を判定することについて父親と議論した 朝、注意報や警報が出ていないことを確認した上で、自宅の近くを 30 分くらい見回りした 損壊しているものはほとんどなかった
ゴミが散らかっているのが気になった
一部のカテゴリがやや品薄ではあるものの、ふだんと違うのはそれくらい
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とあるお店の「12日 休み」「14日 営業」って張り紙がよかった
お店によっては「お客様にご不便をお掛けして、誠に申し訳ございません」ってテンションで臨時休業をアナウンスしているところもあったけれど、誰も悪くないんだし「台風なので休みまーす」くらいでいいとぼくは思う もっと「休む」という選択肢を気軽に選べる社会にしていきたい
今日はスタッフの人たちも着席していたみたい
災害発生時などの非常時に気分が高揚する個体が生き延びた結果の現行人類ということか? こんなことでもなければ「みんなでひとつの話題を共有する」ということも今の生活においてはなかなかないのだ
もちろん、亡くなられた方や被害に合われたみなさんを無視するつもりはないし、まだまだ現在形だということはわかっている
ダムや堤防が決壊したり地下水道や調整池やらがなんらかの理由で大きな障害になってたらもっと酷いことになってたろうし、災害に備えられた公共インフラが当たり前に機能してくれたことは本当にありがたいね 今回、東京が水没せずに助かったのは、利根川水系の大型ダム群の治水と埼玉の地下神殿の大量貯水、なにより、完成間もないまだテスト段階だった八ッ場ダムがぶっつけ本番で満水フル稼働してくれた、など先人たちの知恵と蓄積によるものだと聞いています。おかげで助かりましたありがとうございます。 今回ぼくは「科学に命を救われた」という感覚があり、やっぱり極端な「科学軽視」は受け入れ難いな〜と思ったよ
というか 2019 年の生活者において科学を軽視するってどういう方針なのか?と思う
科学は万能ではないことは百も承知だけれど、科学がない生活は想像できないくらいにぼくらは科学の子だよな
とはいえ、こういうお話もあって気は重い…
荒川区に住むことはわたしにとって「好きな街だから」というのが一番の理由である。と同時に「歴史を学び、選択した街だから」ということが一番大きな動機付けとなっているように思う。わたしは特定の区の貧困や教育水準をランキング化するような不動産屋的な発想を心底嫌う。しかし、嫌うことは知らないことにするというのとは違う。
なんか当たり前のことを偉そうに書いただけだが、右でも左でも、工学派でも倫理派でも、「山の手視線」がにじんで出たような文章には、やっぱり魂削られる。武蔵小杉の排管決壊をせせら笑う感覚は、荒川区民としてまったく理解できない(理解したくない)。ただ、自然災害と地域社会のかかわりについて、東と西が分断され続けてきた歴史を再考し、不動産屋目線ではないところから、(上流部他県により)「東京」がかろうじて可能になっていることを考えることは喫緊の課題だと思う。
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